神武天皇の息子がこの地の権主となった時に、海の畔“見沼”の地に出雲系の女神・奇稲田媛命を主祭神とした『三室の氷川女体神社』を創建し、神武天皇の第五皇女・久久里媛を巫女(斎王)として派遣しました。龍神(海の神)と結ばれた久久里媛は、伊津姫(姉)、多伎姫(妹)の双子の姫を出産しますが早逝し、氷川女体神社の前の海に葬られました。
すくすくと育った双子でしたが、巫女の座を巡って仲違いし、その醜い仲違いに怒った龍神がこの見沼の地を凍りつけてしまいました。
そして双子の姫も亡くなり、生き残った人々がこの双子を二つの女体神社に祀ったという伝説が残っているのです。